ストレス解放までの道のり

介護職員になったことで鬱から立ち直った持田克己が、人々を鬱とストレスから解き放つために、色々と考え事を書き連ねるブログです。

うつになった経緯、うつに打ち克つきっかけ

こんばんは。

お待たせしました。

以前予告していた、僕がうつになった経緯と

うつに打ち勝つためのきっかけについて、記事にしました。


今でこそ介護職員をしていますが

僕の前職は、コンピューターのプログラマーでした。


学校は、長崎でも1・2を争う高偏差値の学校を卒業しました。

ただ、僕は、その学校を卒業して何かをしたいわけではありませんでした。

その学校の入学試験を受け、入学することに、目的はありませんでした。


中学校でいじめにあっていた僕は

地元の高校ではなく、うんと離れた学校を受験し入学しました。

そこで身につけたプログラミング技術を生かして

工業系大学を経て東京の会社に就職しました。


システム開発というのは

上流工程のシステムエンジニアが作った設計書に対して

その通りに動くプログラムを打って、最後に検査をして納品する

というのが概要です。


上からくる仕事をひたすらこなすだけの毎日

うだつが上がらず、東京でばったり会ったクラスメートが持ち込んだ

ネズミ講にも引っかかり、月100時間を超える残業の末

僕はついに一歩も自分の部屋から出られなくなりました。


心療内科に行き、告げられた病名はなんと「統合失調症」。

それから7年もの間、東京、神奈川、福岡を転々としながら

「障害者自立支援法」の適用を受け、投薬治療を受けました。


違う症状の薬を飲んでいたのでは、症状が治まるわけありません。

うつになったきっかけがプログラマーの仕事そのものなのに

それを続けていては、そりゃ治るわけありません。


34歳になり、東京で再び働いていたある秋の日、とあるきっかけで

プログラマーをこのままやっていても(システムエンジニアにもなれないし)

埒があかない、もっと人と交流しなければ僕の人生は開けないと

ぼんやり思い始めた時、会社をクビになり、長崎に帰郷しました。


「あなたはプログラマには向いていない」

「あなたは人と話してはいけない、一生恋愛をしてはいけない」


会社じゅうの人間からこの様に言われ

僕は自分の人格を全て否定された感じがしました。


しかし、僕はこの時全てを失っており

これ以上失うものはなく、一から人生をやり直す覚悟は

簡単にできました。


運良く東京で出会った心理カウンセラーが

僕の人生リセットを後押ししました。


毎日20キロのウォーキングにより

100キロあった僕の体重は65キロまで落ち

体つきも顔つきもすっかり別人になり

すっかり生まれ変わった心地で

人と触れ合う仕事、と探していた介護職に転職。

いつの間にかうつは寛解しており

しかし介護の職場でもいじめや人格否定に遭い

3箇所目の老人ホームにようやく落ち着き、そこで運命の相手も見つけました。


僕の人生を鉄道に例えると

長崎の高校に入学した時には、僕は暗いトンネルを進んでいました。

青函トンネルどころか、東京と大阪と名古屋と横浜の地下鉄を

全部足してもまだ足りないぐらい、とてつもなく長いトンネルです。

暗くて曲がりくねったトンネル、しかしある時軌道が変わり

見事にトンネルを抜けだしました。

北海道新幹線も青函トンネルを抜けると140km/hの速度制限が

なくなる様に、僕もトンネルを抜けた途端全速力です。


うつに打ち克つきっかけ

それは、自分の心の声に素直になること。


「そんな経歴を持ってるのに介護とは勿体無い」

誰もが僕を指して、こう言います。

これが理由で、僕は13箇所の介護施設の採用面接に落ちました。


「それがどうした。俺がやりたい仕事をやってるんだ、何が悪いんだ」

今、「勿体無い」の声に、僕は声高にこう言っています。


なんだかんだ言いながら、給料安くても

自分のやりたいことをしている時が、最高に幸せ。

給料の額が仕事の全て、と思いながらうつになっている

それでも頑張っている方々、

それは本当に、あなたがやりたい事ですか?

心の声を、よく聞いてみてください。


自分のやりたい事をしていない事

それこそ、勿体無いです。