ストレス解放までの道のり

介護職員になったことで鬱から立ち直った持田克己が、人々を鬱とストレスから解き放つために、色々と考え事を書き連ねるブログです。

リスペクト

持田克己は「一億総活躍社会」の実現を支持します。


長崎の街を歩いていると

沢山の人達とすれ違います。


他愛無い話で楽しく笑いさざめくうら若き女の子が居ます。

「今のうちに、思いっきり好きなことをして遊んで欲しい」と、心で願います。


実際に、社会に出てからのほうが勉強する機会は多いですし、遊ぶ余裕がなくなります。


お腹が大きい女性が居ます。

何か、希望のようなものを、僕は感じます。


赤ん坊を抱いた女性には暖かさを感じます。


買い物に来ている初老の夫婦が居ます。

やっと、仕事からも子育てからも解き放たれ

自分たちの時間を満喫していらっしゃることでしょう。

「お疲れ様でした」と、心でつぶやきます。


すべての人達にリスペクトです。


さて、出産をすることが出来るのは女性だけだと言うのは

言われなくてもわかっていることだと思います。


近頃少子化解消のために女性に頑張って欲しいとか

女性は子供を生まなきゃ駄目だとか

あたかも男女差別のようなものが根強く残っているような

印象の発言が飛び交っています。


どういうムーブメントが世の中に起こったのかはわかりませんが

最近は女性も積極的に労働を「したい」と思う時代です。

子供を産むことだけが女性の役割、ではない、と、言いたいのでしょう。


昔と今、特に女性たちにどんな意識革命が起こったのか

僕は理解できませんが、そんな時代です。


だから、女性が出産育児をしても、何事もなかったかのように

さも当たり前に職場復帰できる環境と、その意識が、社会人に必要です。


ただ、専業主婦志望の女性も少なくないことを、忘れているわけではありません。

じゃあ、労働力を提供しない専業主婦は、活躍していないのでしょうか。


いいえ、子育てや家事、あくせく働く旦那さんの支えとなるという、立派な活躍をなさっています。


僕はまだ子育ての経験がありませんので、子育てがどれだけ大変なのかはわかりません。

ただ、男性の職場での労働に匹敵かそれ以上の大変さでしょう。


これを、女性だけに押し付けて、仕事と子育ての両立なんてことになると

そりゃあ女性のストレスはマックスです。


世帯収入を共働で稼ぐなら、子育ても夫婦協力でしょう。

男性が育休を取るのもやむなしでしょう。


男女の機会均等の究極は、人を「男女」ではなくひとりの人間としてみることで

男女を意識するのは恋愛の時と、子作りの時の営みの時だけです。


男性には、どう頑張っても、出産は出来ませんし、オッパイも出ません。

全てのことが出来る女性をリスペクトしつつ、それ以外のことで

男性が精一杯協力するようにしないと、少子化は解決しないように思います。

三十六計逃げるに如かず

おはようございます。

自身もストレスと戦う介護職員の持田です。


さて、僕はもともと工業系の人間であり

医療系の学問はチンプンカンプンです。

なので、うつ病の詳しいメカニズムについては

医療系の記事を検索サイトなどで検索してご覧ください。


と、前置きをしておきまして

うつ病というのは、今でもあまり理解されていない精神疾患です。

ことに、僕の親父に至っては、僕を心療内科に通わせておきながら

「(うつ病なんて)あんなのは単なる怠ける言い訳に過ぎない」

と、日々僕にこう言い聞かせ、1日でも早く僕に復職するよう仕向けていました。


うつの症状を抑えるのに、クリニックから処方される薬を服用するのは大事です。

しかし、薬ではうつを根治できません。


僕もそんな親父に育てられ

「逃げちゃいけない」と生真面目な性分に育ちました。

その性格が、うつ発症の引き金となりました。


いささか乱暴な言い方ではありますが、

うつから逃れるには、今置かれている環境から逃げる事も

大事だと思います。

前の記事で「軌道を変える」とありますが、

うつになる程今の環境で戦ってエネルギーを消耗してしまっているのだから

勝算はゼロでしょう。とっとと逃げましょう。


そして、うつを理解する環境に入り

自分をもう一回見直して、本当にやりたい事、というか

自分の心の声に正直になりましょう。


三十六計逃げるに如かず、です。

うつになった経緯、うつに打ち克つきっかけ

こんばんは。

お待たせしました。

以前予告していた、僕がうつになった経緯と

うつに打ち勝つためのきっかけについて、記事にしました。


今でこそ介護職員をしていますが

僕の前職は、コンピューターのプログラマーでした。


学校は、長崎でも1・2を争う高偏差値の学校を卒業しました。

ただ、僕は、その学校を卒業して何かをしたいわけではありませんでした。

その学校の入学試験を受け、入学することに、目的はありませんでした。


中学校でいじめにあっていた僕は

地元の高校ではなく、うんと離れた学校を受験し入学しました。

そこで身につけたプログラミング技術を生かして

工業系大学を経て東京の会社に就職しました。


システム開発というのは

上流工程のシステムエンジニアが作った設計書に対して

その通りに動くプログラムを打って、最後に検査をして納品する

というのが概要です。


上からくる仕事をひたすらこなすだけの毎日

うだつが上がらず、東京でばったり会ったクラスメートが持ち込んだ

ネズミ講にも引っかかり、月100時間を超える残業の末

僕はついに一歩も自分の部屋から出られなくなりました。


心療内科に行き、告げられた病名はなんと「統合失調症」。

それから7年もの間、東京、神奈川、福岡を転々としながら

「障害者自立支援法」の適用を受け、投薬治療を受けました。


違う症状の薬を飲んでいたのでは、症状が治まるわけありません。

うつになったきっかけがプログラマーの仕事そのものなのに

それを続けていては、そりゃ治るわけありません。


34歳になり、東京で再び働いていたある秋の日、とあるきっかけで

プログラマーをこのままやっていても(システムエンジニアにもなれないし)

埒があかない、もっと人と交流しなければ僕の人生は開けないと

ぼんやり思い始めた時、会社をクビになり、長崎に帰郷しました。


「あなたはプログラマには向いていない」

「あなたは人と話してはいけない、一生恋愛をしてはいけない」


会社じゅうの人間からこの様に言われ

僕は自分の人格を全て否定された感じがしました。


しかし、僕はこの時全てを失っており

これ以上失うものはなく、一から人生をやり直す覚悟は

簡単にできました。


運良く東京で出会った心理カウンセラーが

僕の人生リセットを後押ししました。


毎日20キロのウォーキングにより

100キロあった僕の体重は65キロまで落ち

体つきも顔つきもすっかり別人になり

すっかり生まれ変わった心地で

人と触れ合う仕事、と探していた介護職に転職。

いつの間にかうつは寛解しており

しかし介護の職場でもいじめや人格否定に遭い

3箇所目の老人ホームにようやく落ち着き、そこで運命の相手も見つけました。


僕の人生を鉄道に例えると

長崎の高校に入学した時には、僕は暗いトンネルを進んでいました。

青函トンネルどころか、東京と大阪と名古屋と横浜の地下鉄を

全部足してもまだ足りないぐらい、とてつもなく長いトンネルです。

暗くて曲がりくねったトンネル、しかしある時軌道が変わり

見事にトンネルを抜けだしました。

北海道新幹線も青函トンネルを抜けると140km/hの速度制限が

なくなる様に、僕もトンネルを抜けた途端全速力です。


うつに打ち克つきっかけ

それは、自分の心の声に素直になること。


「そんな経歴を持ってるのに介護とは勿体無い」

誰もが僕を指して、こう言います。

これが理由で、僕は13箇所の介護施設の採用面接に落ちました。


「それがどうした。俺がやりたい仕事をやってるんだ、何が悪いんだ」

今、「勿体無い」の声に、僕は声高にこう言っています。


なんだかんだ言いながら、給料安くても

自分のやりたいことをしている時が、最高に幸せ。

給料の額が仕事の全て、と思いながらうつになっている

それでも頑張っている方々、

それは本当に、あなたがやりたい事ですか?

心の声を、よく聞いてみてください。


自分のやりたい事をしていない事

それこそ、勿体無いです。